若い頃の親の自覚と高齢になった親の自覚は別ものかも?
私も親のはしくれです。子供の生活を想わない事などありません。息子達は成人し社会人として自立・自活できています。「あぁ・・これで私の役割は終わった・・。」と一安心しているところです。夫と共に気楽に暮らしたいと思っています。
ある時、父がまだ健在だった頃の事です。私は本音を言いました。「今、父さんと母さんが亡くなっても誰も困らないのよ。」と・。そして、「この私でさえ、子供を一人前にし終えたので、今亡くなっても困る人はいないと思うわ。」「でも、私はまだ、50代だから、少しだけでも楽しんでもバチは当たらないと思うけどね(笑)」と言ってしまいました。この時、父は「本当だ・・親の役割は終わったな。楽しめる間は気楽にしたいものだ。いつ死んでも寿命だから・。」と言いました。ところが、母の腹の中は「早く死ね。」と私が言った、と解釈したのです。少しは本音ですけどね。ヒドイ母ですから(笑)
実は、この時既に、父は余命は少なかったのです。でも、敢えて私は言いました。死んでいく立場の人間には酷かも知れませんが、残された人間が困らないのだよと言う「安心」を与えると言う意味です。私は人生の大半を過ごしてきたと、自分で思っています。息子達が社会人になった時の私は「有頂天」になっていました。しかし、これからは、「腹をくくって」暮らす事を肝に銘じております。父の死は勉強になりました。母の「いじましい暮らし」もまた、私の反面教師になっております。娘の世話にならないと断言していた母が、今では、「近くに娘がいるのに・」と嫌みの言い放題。一人暮らしの老人など、本当にたくさんいます。お気の毒には思いません。尊敬しています。母など、「あかんたれ」の何者でもありません。あれだけ暴言を吐いていたくせに・・。
母の人生は、「外で働いた事がないのです。」そのような人はたくさんいると思いますが、あまりにも依存し過ぎで無茶が多い。娘の身体の調子が心配だとか言っていたくせに・・。実際、私の体調は悪く、夫の手助けが必要な時がよくあります。だから、夫には私は常に感謝をしております。この感謝の部分が母には大いに「欠落」しているのです・・。父などゴミのような扱いでしたから。食事はきちんと作っている母でしたが、言動がゴミ扱いだったのです。これは、「言葉の暴力」ですよ。しかも、何十年も・・。
私はこのような人生を決して送りたくありません。夫には、優しく接して、夫に愛される妻を目指しています。しかし、私がいつ死んでも、息子達は困らないのも事実です。夫は少しは悲しんでくれるでしょうが・。子供達の為にも、逝くべき時期には逝かないと、やがては嫌われる日が来るのが現実かも?嫌われるまで、生きていたくないとは言うものの、寿命は誰にも分からないし・・。ただ、一々彼らの生活の邪魔にならない為に、少しくらいの事で呼び出す事のないようにしたいものです。
これは、毎日考えています。忘れてはならない・・私の決心だと言う事を・・。親と言うのは、子供を愛し、育てて、去っていく。そのような親であるなら、子供達の負担は少しは軽いと思う訳です。最期は「あがく」これもまた人間らしいと思いますけどね。